松井氏は「ゴジラ」の愛称で親しまれた。
星稜ナインは、甲子園の室内練習場でティー打撃を行った後、場所を西宮球場に移し、練習することになった。松井の打撃は好調だった。ここでのフリーバッティングでもフェンスオーバーを連発している。その姿を見ながら一人の女性記者は思った。噛み合わせが、しっかりとした歯並び。強靭な下半身。それが生み出す、とてつもないパワー。笑う時の愛くるしい表情…そう、ゴジラに似ている、と。
女性記者とは、『大阪日刊スポーツ』紙の赤星美佐子。松井が高校1年生の時から注目し、精力的に取材を重ねていた。彼女は、思いをそのまま原稿にした。92年3月26日付の『日刊スポーツ』には次のような内容が掲載されている。
「西宮球場の右翼中段のイスを打球が直撃。120メートル弾は勢い余ってグラウンドに跳ね返る。春1号の予告弾。『ゴジラ』松井のバットがいよいよ火を噴く時がきた」
この記事が、松井が「ゴジラ」と呼ばれるようになった起源である。丁度、この直前に東宝の撮影所からゴジラのぬいぐるみが盗まれる事件もあり、新聞紙上を騒がせていた。よって、その後に『ゴジラ、甲子園に現る!』との見出しを躍らせた夕刊スポーツ紙もあり、このネーミングは一気に定着する。
すると1992年3月26日の「日刊スポーツ」記事が一番古い記事としてヒットしました。丁度92年の春の大会初日の記事に”「ゴジラ」松井のバットがいよいよ火を噴くときがきた”として紹介されています。
(※省略)
2002年の流行語対象を紹介した「日刊スポーツ」の記事に、「ゴジラ(なんと流行語大賞までとっていたんですね)」が流行語大賞特別賞を受賞したと紹介。あわせて命名当時の事について振り返っています。
命名者は日刊スポーツ大阪本社の赤星美佐子記者。当時はアマチュア野球担当をされており、今は退職されています。
当時松井選手は「ゴジラ」を嫌がったようですが、赤星さんは「絶対にゴジラだ!」と記事を書きつづけたそうです。
星稜高3年春のセンバツで松井秀喜(36=エンゼルス)を「ゴジラ」と命名した元日刊スポーツ記者の福永美佐子さん(44=旧姓赤星)がエンゼルスタジアムを訪れ、松井と18年ぶりの再会を果たした。(※省略)福永さんは「下半身が大きくて犬歯が特徴的なところから浮かびました」と命名秘話を披露していた。
——ニックネームに希望はあるか
「ご存じのとおり、ゴジラが一番いいと思う」
松井:マスコミが付けたんです。新聞には「ゴジラってみんなに呼ばれてる」って書いてあったんですけど、誰も呼んでない。初めて書かれた時は、誰も言ってない。
「なんだよ!」と思って。でも、アメリカ人には「ゴジラ」って結構いいイメージだったので、今振り返ると良かった。
※この時、ワイプに1992-03-28付日刊スポーツ紙面の写真あり。「星稜・松井だ 3ラン 3ラン 連発!! ゴジラ君」との文字。
※なお、「ゴジラ」の初出は、上記情報源記載どおり1992-03-26付日刊スポーツ
愛称・ゴジラは、高校時代からのもの。その「ゴジラ=Godzilla」は、1954年東宝製作の特撮怪獣映画であり、米国にも輸出されヒット、米国人にもひろく知られる。
Nicknamed "Godzilla" for his powerful swing, Matsui slugged 332 home runs in Japan and 175 more in the Major Leagues, 140 of which came in a Yankees uniform.
小学校時代にわんぱく相撲に出場した松井は、中学入学時で1メートル70、95キロの堂々たる“あんこ体型”。中1時代には能美郡相撲大会で個人戦優勝も果たしたほどで、根上中野球部でも「関取」「相撲取り」などのあだ名で呼ばれていた。
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