お嬢(美空ひばり)とタフガイ(石原裕次郎)、昭和を代表する不世出の大スター夢の企画実現。
ひばりさんの全盛期には「お嬢」「小野ちん」と呼び合う仲で、“初恋の人”と騒がれた。
食事をしていると、やおらお嬢(=ひばり)のママ(=喜美枝)が「ねえ原さん、たまにはお嬢の伴奏もしてやってよ」と切りだした。
1953年12月:封切りの映画『お嬢さん社長』出演後、喜美枝はひばりを「お嬢」と呼び始める
還暦を超え、“歌謡界の女王”とともに再び動き始めることになった岡林は「(ひばりさんへのレクイエムとなる)最新のアルバムを完成させて、僕の中には何も無くなった」と、完全燃焼したことを明かしている。
演歌の女王、美空ひばりは、東京五輪が開かれた1964年に新宿コマの舞台を踏んで以来、亡くなる3年前の86年まで毎年、公演を行った。
88年4月11日の“不死鳥コンサート”以来、23年ぶりに女王がドームに舞い降りた。
「昭和の歌姫」として数々の名曲を残してきた美空ひばりだが、当時は女優としての人気も高く、時代劇を中心に多くの映画・舞台に主演していた。
昭和の歌姫、美空ひばりさん。
昭和の歌姫と親しまれた美空ひばりさんが亡くなって24日で20年。
※記事見出しに「永遠の歌姫」含む
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“永遠の歌姫”であった美空ひばりは、昭和歌謡にはもちろん、映画分野でも多数の偉業を残している。
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