この名人戦で見せた攻めの鋭さ、他のプロにはない、相手の玉を詰める最短手順を探り出す嗅覚が、今でも谷川の代名詞として使われる「二つ名」を生み出したのです。
「光速流 谷川浩司」。
※注:記事中の写真(名人戦第1局谷川完勝を伝えた『将棋世界』1983年6月号)に、「谷川、光速の寄せで先勝」との見出し
谷川さんの長年の看板となった“光速流”を名づけたのは自分なのだが、
私の「光速の寄せ」というのは、大崎さんにつけていただいた言葉で、「将棋連盟にいるには惜しい(笑)」と思わせる才能を持っていた。
(39手目、谷川九段の銀がぐいぐいと出て「前進流」の面目躍如の攻勢に出た)
※近代将棋 1994年12月号 別冊付録 右脳を鍛えるシリーズ 納めの手筋集 実力二段になれる
目次
谷川前進流 //p83~83
奨励会には小学校5年生で入り、中学2年生で四段になりました。奨励会で付いたあだ名は「ワニガワくん」。序盤が上手くないために、苦しい将棋に食らいついて逆転勝ちすることが多かったので、そこから名づけられたようです。
Q97 子どもの頃のあだ名は?
A97 奨励会では「わに川君」と呼ばれていた?
谷川九段(愛称:タニー)が敗北を認める
※注:記事中、写真の説明文
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