97年からは代打の切り札に。その後、ファンからは「代打の神様」と親しまれた。
阪神の低迷時代から優勝を争えるチームになるまでを支えた“代打の神様”の最後の勇姿をこの目で見届けようとするファンの思いがそこにはあった。
その後代打としての適性の高さを見せ、1997年には代打率4割、1998年には開幕からしばらく代打率5割以上をマークするなど、ここ一番の場面で登場する代打の切り札となった。その後も絶好の場面で好打を放つことから吉田監督から「代打の神様」と命名され、「代打・八木」のコールで球場を大いに沸かせる選手となる。
※管理人注:↑吉田監督による命名とされているが、後に八木本人が「日刊スポーツの記者が書いた」と語ったという話もあるようだ
「トラ(広沢)とハチキ(八木)に開幕から頼っとってどないすんねん」。指揮官は苦笑していた。
© 2013-2021 nebomana.com